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『あるくるりミュージック愛好家による極私的 20 年史』《本編》

街には、流行のファッションに身を包んだクリエイティブな人が溢れていたが、私はその「一員」ではなかった。

以下のストーリーは、2016 年ロックンロールバンドくるりの結成 20 周年を祝うため、1ファンである Eight Days A Week 編集長毛利信之が執筆しました。
具体的には、DAY1~7 までそれぞれ 1 曲を選び、その曲を発表した時のくるりについて、そしてその曲を聞いた当時の自分の思い出を絡めたストーリーです。

その際、文章に付随する 1 枚のビジュアル(絵 or 写真)を私の友人である様々な才能ある アーティスト(イラストレーター、写真家、…)の方にお願い致しました。

私の文章からインスパイアされたものを表現して下さった方もいれば、曲名だけを伝え、自身が抱く曲のイメージからビジュアルを作成して下さった方もいます。

私の我儘なお願いを快く引き受けて下さった7組のアーティストの皆様に感謝致します。
とても私的な内容を含む文章であるが故に、皆様にとって興味深い内容になったかどうかわかりません。
しかし、くるりというバンドによって何度も心を救われた 1 ファンとして、少しでも多くの方にくるりというバンドの魅力が伝われば幸いです。

今回タイトルに《本編》とさせて頂きましたが、《メイキング編》として、それぞれのヴィ ジュアルを担当した作家さんの詳しい紹介や出会った経緯、今回の作品を作った思いなど をインタビューした内容をあらためて掲載したいと思います。

それでは、 そろそろ開演のお時間です。
「Here we go,Rock’n Roll!」

day1

Day 1

「旅立ちの日」
曲名:ワンダーフォーゲル

2001年3月某日、18年間生まれ育った街、京都を出て、東京に向かう。

家族には何不自由なく育ててもらったし、友人も沢山いる心地よい環境が京都には約束されていた。
でも、自分のことを誰も知らない街で、自分の力で人生を切り開いていきたいと思った。
中学時代から洋服に興味を持ち、ファッション雑誌の中に広がる世界に憧れた。
小学校時代からの親友と夢を語り合い、「お前が作った映画の衣装を俺が手配する」などと夢想していた。

高校時代まで音楽の趣味は6歳上の兄の影響が色濃く、小沢健二やTHE BOOMなど邦楽のポップスやロックを聞いて育った。

高校3年生時は受験勉強に没頭していたので、世の中の情報はシャットアウト。
完全に浦島太郎状態で、宇多田ヒカルかモーニング娘の曲しか知らなかった。

旅立ちの日、兄がはなむけの一曲として教えてくれたのが、くるりの『ワンダーフォーゲル』という曲だ。

一聴してすぐこの曲の虜になり、その直前に発売されていた3rdアルバム『TEAM ROCK』を購入して聞きこむようになった。

これから「何千マイル」も続く旅路に微塵の不安も感じていなかった。

day2

Day 2

「東京の街に出てきました」
曲名:東京

新しいものを生み続ける街東京は刺激的だったが、自分が思い描く生活とは程遠かった。

休みごとに訪れた渋谷や原宿の街には、流行のファッションに身を包んだクリエイティブな人が溢れていたが、私はその「一員」ではなかった。
家の近くの駅裏にあった冴えない洋服屋で「SUPREME」のTシャツを買い、 それが偽物だと知らずに着て、行く当てもなくフラフラと街を彷徨っていた。

1人を介せば誰とでも繋がれそうな街京都と比べ、東京はあまりに「巨大」で、簡単には馴染むことが出来なかった。
一緒に東京に行こうと言っていた親友は、考えを変え、一浪の末京都の大学に進学していた。
悶々とした気持ちを抱えた夜は、2002年3月20日に発売されたくるりの4thアルバム「THE WOLD IS MINE」を子守歌にして眠るのが日課になった。

初めてくるりのLIVEに行ったのは、2002年5月20日、会場はCLUB CITTA’川崎だった。
打ち込みを多用した直近2作のアルバムがどのように表現されるのか胸を高鳴らせて会場に足を運んだが、率直に言って期待を上回ることはなかった。音を作り込んで収録した楽曲だけに、ライブで再現するのがとても難しいのだった。
ロッキンオンジャパンなどの音楽誌に掲載されるVo.&Gt.の岸田繁さんのインタビューにも葛藤やもどかしさに溢れていた。
自分の頭に思い浮かぶイメージを具現化することは、なんて難しいのだろうかと思った。

day3

Day 3

「古いものを大事にしながら、新しいものを生み出す」
曲名:ブレーメン

大学卒業後、希望通りファッションの世界に進み、アパレル商社に就職。
24歳になってすぐ、転勤により生まれて初めての海外生活がイタリア・ミラノでスタートした。

ヨーロッパに行きたいと思ったのは、ロンドンやパリ・ミラノなどや世界ファッションの発信地であることもあるが、「古いものを大事にしながら、新しいものを生み出す」という人々の考え方が、自分の生まれ育った京都に近いと大学時代の旅行で感じたからだ。

ちょうど私がイタリアで生活している頃、くるりはウィーンで生活し、レコーディングを行った。
2007年6月27日に発売された『ワルツを踊れ Tanz Walzer』は地元オーケストラとも共演し、大胆なストリングスアレンジが施された画期的なアルバムだった。

まさに「古いものを大事にしながら、新しいものを生み出す」というヨーロッパ人の発想に近いと思え、深く共感を覚えた。

メンバーチェンジを繰り返しながら、妥協せず素晴らしいものを生み出し続ける岸田繁さん・佐藤征史さんのくるりは、世界のどこにもいない素敵なバンドになりつつあるように感じた。

アルバムが発売された後の夏休みを利用して、ミラノからウィーンまで電車で旅行し、くるりのメンバーが過ごした街を経験しようと思った。
しかし、同じオーストリアのザルツブルグまで来たところでお金が引き出せないというトラブルに見舞われ、撤退を余儀なくされた。

2年間のヨーロッパ生活で唯一の心残りである(笑)

イラストレーション:Miku Tsuchiya
http://mi9neruneru.jimdo.com/
http://instagram.com/mi9neru

day4

Day 4

「また会う日を夢見て もう一度」
曲名:『さよならリグレット』

2008年8月にイタリアから帰国。
直後の9月、京都の梅小路公園にてくるり主催のもと開催された「京都音楽博覧会2008」(通称:音博/おんぱく)を見に行く。

イタリア在住時から遠距離恋愛をしていた彼女が京都にいたのだが、共通の趣味が「くるり」だった。
彼女は梅小路公園の程近くに一人暮らしをしており、音博に一緒に行くのは念願だった。
梅小路公園ののんびりとした雰囲気の中、くるりは勿論のこと、ハンバートハンバート、細野晴臣さん、小田和正さん…良い音楽に包まれながら過ごす時間は格別だった。
日本に帰ってきたんだなぁ、としみじみ思った。
しかし、帰ってきてから日本での仕事は忙しくなる一方。東京⇒名古屋への転勤などもあり、京都にいる彼女との遠距離生活は変わらず、徐々にすれ違いも多くなってきた。

一年後の9月に開催された「京都音楽博覧会2009」はなんとも憂鬱な思い出となってしまった。
前日に大ゲンカをしてしまい、終始気まずい雰囲気が流れていた。
矢野顕子さんが演奏した名曲『一つだけ』の歌詞が胸に染み入った。
「離れている時でも わたしのこと 忘れないでいてほしいの ねぇおねがい」

くるりのステージは、同年の6月10日に発売された8thアルバム『魂のゆくえ』の収録曲を中心に演奏された。
ブルース的な「土臭い」要素を含むこのアルバムを当初うまく咀嚼出来ていなかったのだが、この日を境に聞きこむようになり、体に馴染んでいった。

音博後にスタートしたツアーのチケットを買い求め、2009年11月25日に名古屋の中京大学文化市民会館 オーロラホールで開催されたライブに足を運んだ。
一人でくるりのライブに行くのは随分と久しぶりのことだった。
あんなにボロボロと泣いたライブも久しぶりだった。

結局、その年の年末に彼女とのおつき合いは終わりを遂げた。

イラストレーション:佐々木奈菜/Sasaki Nana
http://sasakinana.ciao.jp/
http://instagram.com/sasakinana

day5

Day 5

「くるり的『全都市カタログ』」
曲名:everybody feels the same

阪神大震災(1995年1月17日)発生時は京都、アメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)は東京で暮らしていた私は、東日本大震災(2011年3月11日)を名古屋で迎えた。
名古屋の震度は3程度であったが、はっきりと体感出来るぐらいの揺れが長く続いた。

当時の職場は洋服を生産する工場であり、アイロンなどの機材の電源を止めて従業員一同で外に飛び出したものの、目立った被害はなかった。
しかし、テレビで見る津波の映像や被災地の様子は想像を絶する程すさまじいものであり、
現実に起きたこととは到底思えなかった。

東京の交通が麻痺し、何時間も歩いて帰宅する人や交通網が遮断されたために品不足になった東日本のコンビニの様子を報じるニュースを見て、今まで当たり前に機能していたことが、こんなにもあっさり崩れ去ってしまうのだと強いショックを受けた。

これまでの価値観が揺らぎ、何を心の拠り所にすればよいのだろうか、自分なりに悩んだ。

実際に被災された方、福島原発の近くに住んでいた方がどのような思いを抱えられていた
のかは、想像の範疇をはるかに超えていた。

震災後の募金やチャリティーイベントに関する様々な議論が起こった。
売名行為ではないか?偽善的だ、などと非難された人達もいた。
何事も「自粛」という風潮…

でも、私は今までこれほどアートや音楽というものの素晴らしさを実感したことは無かった。
人間にとって、衣食住が確保されることは勿論大事だけど、それと同様に「生きる喜び」や「希望」が重要なのだと思った。
美しいものを見、素敵な音楽を聞くことで、人は前を向いて歩くことが出来る。
そんな風に人々に希望を与えることが出来る「アーティスト」を私は心から尊敬するようになっていた。

震災後、くるりの岸田繁さん、佐藤征史さんが京都に移住し、新しく出会ったメンバー達と作り上げた10thアルバム『坩堝の電圧』中でも先行シングルとなった『everybody feels the same』という曲には心から勇気づけられた。

この曲の後半、世界の都市名が列挙される箇所がある。
「ダッカ パリス 東莞(ドングァン)、リオ・デ・ジャネイロ、ブエノス・アイレス、カラチ、イスタンブール、広州(グアンヂョウ)=仙山(フォーシャン)、モスクワ、北京、深圳(シェンツエン)、ロスアンジェルス、コルカタ、大阪=神戸=京都、カイロ、上海、メキシコシティ、ソウル=仁川(インチョン)、サンパウロ、ニューヨーク、マニラ、デリ、ムンバイ、ジャカルタ、東京」

これは、「世界の都市圏人口」上位25都市の名前である。
世界がダイナミックに動いていることを実感させられる非常に印象深い歌詞だ。
しかし、この年が含まれる国すべてが原子力発電所の保有国であることはたまたま後でメンバーも気づいたということだった。

それ以外にも、この曲の歌詞が意味するところは、以下のサイトで詳しく解説されている。
http://ameblo.jp/the-quruli/entry-11325495170.html

声高に政治的なメッセージを叫ぶことを私は好まないのだが、人々に何かを考えさせるきっかけを作ることが出来るアートや音楽の力を私は信じている。

作品制作・写真:ミクラフレシア
http://miquraffreshia.net/
http://instagram.com/miquraffreshia

day6

Day 6

「ルーツに帰れ!と岸田繁さんが叫んでいたのだと気づいた。」
曲名:琥珀色の街、上海蟹の朝

2015年11月28日、20th ANNIVERSARYとして企画された「NOW AND THEN vol.2」(私が一番聞き込んだ3rd.アルバム『TEAM ROCK』と4th.アルバム『THE WORLD IS MINE』を再現)ツアー最終日、Zepp Namba公演に私は胸がいっぱいになった。

くるり初の女性メンバーであるファンファンさんは産休のためお休みされていたが、残る2人のメンバー岸田繁さん、佐藤征史さん、そしてドラムのクリフ・アーモンドさんを中心とするサポートメンバーのパフォーマンスがただただ素晴らしかった

13年前川崎チッタで初めて見たくるりのライブと比較すると、その進化は目覚ましかった。

人というのはヴィジョンを持ち、その具現化のための努力を続けることで、こんなにも高みに到達することが出来るのかと心が揺さぶられ、深い感銘を受けた。
くるりの歩んできた道のりが平坦でなかったことはファンとしてよくわかっているつもりだったので、自然と涙が溢れてきた。

続く「NOW AND THEN vol.3」ツアーは、5thアルバム『アンテナ』を再現するものだった。
同じサポートメンバーで演奏されるということもあり、2016年5月17日ロームシアター京都での公演のチケットを買い求めた。
思えば地元京都でライブを見るのは、2009年9月の音博以来だった。

そのツアーで初めて、『琥珀色の街、上海蟹の朝』という曲を生で聞いた。
「上海蟹食べたい」というキャッチーなサビのフレーズが特徴的なこの曲は、既にインスタグラム等で話題沸騰だった。
くるりをはじめ、ミュージシャン、アーティスト、一般人…様々な人がその曲をバックに動画をUPし、動画は拡散され続けていた。

登場した岸田繁さんはいつも演奏するギターを置き、時にラップを交え、ハンドマイク1本でゆったりと歌い上げた。
くるりの前身のバンドではギタリストだった岸田さんは、この日はまるで永年歌謡曲を歌い続けるベテラン歌手のようだった。
20年のキャリアが成せる「遊び」に満ちた円熟のパフォーマンスだと思った。

ライブ後、何故歌詞に「上海蟹」と出てくるのだろうか疑問に思って調べていたのだが、その疑問はあるサイトが教えてくれた。
それは、2015年1月23日に放映されたNHKのファミリーヒストリー『くるり・岸田繁〜京都に生きる誇り 運命を変えた上海〜』の内容を文字で書き起こしたサイトだった。
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/23759/824498/
(実際の放送は見ていない)

要約すると、岸田繁さんの母方の祖父母(一ノ瀬家)は戦前上海に住み、広告代理店に勤めていた岸田さんの父昭夫さんも以前中国に赴任していたことがあった。
岸田繁さんにとって、中国はいわば第二の故郷だったのだ。

それを知る時、元メンバー私が大好きなナンバー『GO BACK TO CHINA』という曲(4thアルバム『THE WORLD IS MINE』に収録。元メンバーのクリストファー・マグワイアさんが、加入前に一晩で33回も聞いたという程衝撃を受けたという逸話を持つ楽曲)の歌詞の謎も解けた。

私が大学生である15年近く前から岸田さんは、「ルーツに帰れ!」と叫んでいたのだと気づいた。

何の因果か私は、大学卒業後、母方の祖母の出身である名古屋本社の会社に就職した。
私の務めた会社の本社は祖母の生家の程近くにあり、私に様々なチャンスを下さった当時の社長のご自宅は祖母の父(曾祖父)が別荘にしていた敷地の程近くにあった。

岸田繁さんが上海に対して抱く思いを私は、名古屋に対して抱く。

私は知らず知らずのうちに自分のルーツを巡る旅をしていたのかもしれない。

2015年2月京都に戻ってきた。
父親が25年前に始めた家業、「新しい伝統」を継承したいとの考えだ。

イラストレーション:寺岡 奈津美
http://teraokanatsumi615.tumblr.com/
http://instagram.com/teraoka_natsumi

day7

Day 7

「Nobody knows how to go…」

2016年11月8日 共和党のドナルド・ジョン・トランプ氏が、アメリカ合衆国大統領選挙一般投票にて、民主党指名候補のヒラリー・クリントン氏などを破り、全米で過半数 270人以上の選挙人を獲得した。
12月19日の選挙人による投票で正式な当選者となり、2017年1月20日に第45代アメリカ合衆国大統領に就任する。

アメリカが変わると共に、世界が変わる。
日米関係も大きく変わるだろう。

こんな状況を予見していたのだろうか、くるりが2010年9月8日に発表した9thアルバム『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』には『さよならアメリカ』という曲が収録されている。
(曲のタイトルは、恐らく伝説のバンド「はっぴいえんど」の楽曲『さよならアメリカ さよならニッポン』へのオマージュであろう。)

『さよならアメリカ』の歌詞を引用する。

「ろくでなしアメリカの 手のひらで泳ぎつかれたよ
干上がった生命線 ここはきれいな河でした

たくさんの置きみやげ ぼくらは使って暮らしていますよ
でもこれで十分よ 時代は変わり巡り巡る

さよならアメリカ さよなら さよなら
日の本 ここだよ さよなら」

この曲で、岸田さんが言いたいことは、日本はアメリカに「従属」することから「さよなら」しようという意味ではないかと思う。

2016年5月27日のバラク・オバマ現大統領への広島訪問、12月27日の安倍晋三首相のハワイ真珠湾への訪問
このことが今後の日米関係にとってどういう意味を持つことなのだろうか、それは歴史が証明してくれるだろう。

「時代は変わり巡り巡る」ことによって、私達は頼るべきモノをなくし、不安な生き方を余儀なくされるかもしれない。

だが、そんな時は
「ルーツに戻ろう」
自分達の家族・祖先のこと、生まれ育った街を紐解けば、自分だけにしかない拠り所を見つけることが出来るだろう。

「歴史を振り返ろう」
先人達が積み重ねてきた歴史を尊重し、深く知ることは何よりの未来への道標である。

そして、前を向いて「何千マイル」(『ワンダーフォーゲル』)も歩き続けることで、「いつかは想像を超える日が待っているのだろう」(『HOW TO GO』)

イラストレーション:ヤマダユウ/yamada yuu
http://yamadayuu.jp/
http://instagram.com/9somegane

Day 8

Day8
「NOW AND THEN」ツアーでのLive パフォーマンスがずっと心に残っていて、Eight Days A Weekというメディアを使って、何かくるりの20周年をお祝いする記事を作成したいと考えていた。

ただし、私は音楽評論家でもないし、くるりの音楽性や音楽業界の文脈的にどのような意味を持つかは語れそうにもなかった。

一方で、くるりと出会った18歳から現在に至るまで、くるりの音楽はいつも自分の傍にいた。
1ファンとして、日記的な私の思い出と共に、その当時のくるりのことを語るということであれば、(内容の良し悪しはともかく)どこにもない「オリジナルな」内容になるのではないかと思った。
その点では、某キュレーションサイトにも勝てるだろうと。

文章において、果たしてその試みが成功したかどうかはわからないが、一つ言えることは、私のなんとも不思議なリクエストに応えようと一生懸命ヴィジュアルを作成して下さったアーティストさんの作品がどれも大変素晴らしいこと。
それぞれの持ち味を生かして、「くるりへの愛」を表現して下さった。
これも他の何にも似ていない「オリジナルな」作品である。

それぞれの方から聞いた作品に対する思いや制作の「プロセス」の話があまりに充実しているため、急遽《メイキング編》を別途掲載することにした。
こちらと合わせて呼んで頂くとより、楽しんで頂けるのではないかと思う。

私の父親は高校時代にTHE BEATLESに出会い、日本武道館の来日公演を見に行った程の根っからの「ビートルズ世代」である。
(その頃の熱狂がいかに凄かったかは、今年上映され、DVDも発売されたばかりの映画『Eight Days A Week』をご参照に。)

私はこれからもずっとくるりの音楽を愛し続けるだろうし、いつか「くるり世代」と呼ばれ、息子にくるりの素晴らしさを語っているようになるかもしれないなと夢想している。

参考文献:『くるりのこと』(新潮社)
https://www.amazon.co.jp/

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